研究所


ENGINEERS誌1999年8月号

「21世紀の製品安全とPLPを考える」シリーズ

“製品安全の目”で見る医療事故


 今年1月に発生した横浜市立大学病院での患者取り違え事故をはじめ、相次ぐ医療事故のニュースが報道されているが、今回はこれら医療事故の原因を探り製品安全の目で考えてみたい。

 医療事故の場合、交通事故のように警察が介入しないため統計データがなく、医療事故の発生件数そのものが把握されていない。したがって医療事故の発生件数が増えているかは明かでないが、医療訴訟の件数は増加しており、最高裁のまとめによると89年に369件、その後年々増加し98年には629件となり、10年間で70%も増えている。医療機関でも事故防止活動を行っていることを考えると、訴訟件数の増加は医療事故の増加ではなく、患者や家族が医療行為の疑問を権利として主張するようになってきたからであろう。しかし問題は訴訟件数の増加ではなく、医療事故・医療過誤の発生件数は過去から現在まで非常に多いということである。これは多くの病院では訴訟に到ったケースを含め何らかの事故を経験し、事故につながりかねないミスについては日常的に経験している、とする日本看護協会の分析でも明らかである。

 さて「赤十字の動きNo. 288」(日本赤十字社社内報)では医療事故における3つの要因が述べられているので紹介しておく。1つ目は医療スタッフ個人の疲労、思いこみ、動揺などによる「内面要因」、次は薬剤の形状や名前、医療機器のデザインなどの類似からミスを誘う「設計要因」、最後は診療科間や医療スタッフ間のコミュニケーションによる「組織的要因」である。

 ここで医療事故の事例をいくつか考えてみることにする。前述した横浜市大病院の事故では、23人もの病院関係者が患者の間違いに気付かず、手術後たまたま回診にきた24人目の元主治医によって間違いが明らかになっている。これは与えられた仕事(手術)を最優先で行わなければならない、とする医療現場のシステムの問題が考えられ、“患者を助ける目的”が“医療行為を行うこと”にすり替わっている。肺の手術室で心臓疾患の患者に貼られていた背中の心臓病治療薬のフランドルテープに気付いた麻酔科医は、「何だこのテープは」と、はがしてしまう(誰かが誤って肺疾患の患者にテープを貼った、と決めつけている)。一方心臓の手術室では、肺疾患の患者を前に「頭髪が短い」「症状が思ったより軽い」などと議論が起きていた。しかし病棟に確認した電話で「たしかに(手術室に)下りてます」の口頭の返事を受けると、主治医らは「散髪したのかな」、「症状の変化は患者に何らかの変化が起きた」と勝手な解釈で手術を始めてしまった。

 手術室にいる患者の情報を客観的なデータで正しく評価するという意識がなく、「○○のはずだ」という当事者の都合が優先されて事実がマスキングされている。このように第三者から見ると明らかな間違いでも、現場の環境内では排他的に情報を管理し、手術という目的にベクトルがあった複数の人間の特殊な思考状態になっている。疑問が生じても“思いこみ”によりその疑問を取り除いていくと、次の疑問は疑問とも感じなくなるものである。これはまるで思いこみのループに入ってしまったようなもので、強力な外乱なしには抜け出せないことになる。同病院の第1外科においては主治医グループ制をとっており、4人の医師が全員で患者の診察に携わるシステムである。今回の事故は、患者に対する責任が曖昧となりやすいシステムの弊害が現れたともいえる。

 企業においても管理職や専門性の高い技術者などは、自身の期待しない事実は認めたがらない傾向にあり、「○○のはずだ」といった言葉が出てくる。しかしいくつかの失敗を経験した経験豊富な人は謙虚であり、技術的な裏付けなどを求めるものである。またグループ制の弊害では、自分には関係がない/責任がないと考える、省エネ・責任回避行動がしばしば出てくる。しかし疑問を発見した者はその問題を報告する義務があり、それを怠った者のペナルティを科すなどシステム的なマネジメントが必要である。

 1996年7月、経口薬の血液凝固剤を誤って静脈に注射して患者を死亡させた事故は、看護婦が引継書に書かれてあった「1V」(1Vial=1ビン)を「IV」(Intravenous=静脈注射用)と見間違ったものである。これなどは用字用語のルールを定めるなど、「設計要因」の対策が可能である。

 昨年2月に京都大病院で起きたO型の女性患者に歯科口腔外科の医師が誤ってA型の血液を輸血した事故では、医師はパックに記載された患者名や血液型などを確認しなかったことが判明している。医師は「冷蔵庫内の棚には自分の担当している女性患者分しかない」と思い込んでいたようである。また、今年1月、大阪府泉佐野市の市立泉佐野病院で起きた点滴薬剤を誤って別の患者のものを使ってしまった事故は、看護婦の単純な思いこみであった。同病院のマニュアルでは患者本人に呼びかけるなどの確認をし、それができないときは薬のびんに書かれた患者の名前とベッドの名札を確認することになっている。この看護婦はこの日2回の点滴では確認をしたのだが、3回目では発熱している別の患者の世話や採血などの仕事を控えて「気持ちがあせっていた」といっている。この2つの事故では「内面要因」の対策が必要であり、手順の厳格な遂行と、チェックすべき表示内容・方法の改善や、バーコードなどによる薬剤と患者との照合システムの導入を考える必要がある。

 以上述べてきたように、医療事故の原因では確認を怠ったことが圧倒的に多く、前工程から次工程へ引き渡すという意識のある企業とは少々異なっている。これは受入検査、出荷検査という工程認識が医療現場では希薄であることを示している。最近では“ヒヤリ・ハット”事象を「インシデントレポート」として記録する病院も出てきたが、記録内容がふとしたことで公表されるなど信頼性が低いシステムもあり、看護婦が書きたがらないという問題が明らかになっている。企業から見ると「対岸の火事」と見る向きもあろうが、「思いこみ」、「内面的要因」、「システムの欠陥」の共通因子や、労災問題で抱える管理上の問題など、考えるべきことは多いだろう。

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