“使いやすい”取扱説明書の企画・設計手法 |
|
ASP研究所 中澤 滋 |
取扱説明書の評価は、ユーザーが製品の取り扱い短時間に習得できることを尺度としなければならない。したがって取扱説明書を持つ喜びや読む喜びは、評価要因として扱わない。製品取り扱いの習得要素では、ユーザーの初期目的達成が第一の要因である。次に誤操作などによる取扱者の安全を損なう恐れや、物の損傷などによる金銭的負担の恐れ、機能享受達成度と続く。
ところで企業では、取扱説明書がその目的を満たしているかの検証結果をどのように処理しているのであろうか。「間違いがなければとりあえずOK」というレベルがほとんどではないだろうか。他部門や新製品発表後の販売店経由での指摘で問題が表面化することもあり、制作部門での検証はどのような標準のもとに検証されるのであろうか。取扱説明書通りの操作で「製品が動作するか」だけが評価基準のこともあろう。類似製品の流用部分のチェックは「既存の製品で使っているのだから」と省くようなチェックは厳格ではない。特に前モデルと同じ機構の部分ではノーチェックが当たり前のようで、前作の取扱説明書の不具合もそのまま継承してしまっている。
品質保証部門での取扱説明書の客観的評価は行われているのか。「今更CDを裏表に入れる人はいないよ」などの慣れた人の主観が優先し、検査項目の減少などの作業効率を図っていないか、など検証すべき項目は多いのではないか。業務上知識や経験がユーザよりも多い企業内の人間は、ほんとうはユーザーの立場や目線でものを見ることができるのがプロと呼ぶにふさわしいのであるが、実際は中途半端なプロが多く仕事量の減少のために都合のよい解釈をし、ユーザビリティの問題を埋もれさせることがある。
企業は製品にかける検査項目や時間と同等の質の検査を、取扱説明書に対し行っていないことが多い。製品の耐久試験は行うが、取扱説明書の耐久試験はどうであろう。印刷会社などから入手した紙やインク、コーティング材のデータをもとに「大丈夫」との判断をするだけで、自ら試験をすることはまれである。ISO9000シリーズ規格取得企業であっても、製品ハード製造のための取引先データの信頼性は厳しく評価するが、取扱説明書の素材に関する評価はどうなのであろうか。クレームがなければ社内評価基準は自ら作成せず印刷会社に準じている形だけの検査基準のこともあろう。しかしビデオやCDなどのメディアによる取り扱い説明の場合は、より厳格に品質検査基準を設けてはいまいか。
いずれにしても取扱説明書は製品ハードほど評価に値するものではなく、販売代理店など売る側の評価やまれに取扱説明書の評価を第三者が行うことがあっても、いずれも評価者の主観が入った“分かりやすそうに”作られているかがキーポイントで、色使いや見出し・キャッチの効果、イラスト・図などグラフィックの量とその質などに偏るきらいがあり、実際のユーザーの使用実態をシミュレートしたものとはほど遠い。これらは制作者側の論理で取扱説明書の善し悪しを判定しているにすぎなく、ユーザーの視点での評価ではない。ユーザーが実際に製品と取扱説明書を前にどのような操作を行い、何にとまどうのかの検証を行うことで初めて取扱説明書の評価ができるのである。ユーザー視点での評価基準が入っていない「良い取扱説明書」というのは、単に企業のPRの道具でしかない。
最近では取扱説明書を店頭の商品棚に置いてくれる店も増えてきたので、真剣に各社の製品を比較検討して購入しようとするユーザーにとってはありがたいことである。店員のレベルの低下があるのか、次々に新製品や新機能、新語を登場させるメーカーのためかわからないが、炊飯器の「IHのメリット、ディメリット」について説明できる店員も少なく、また原理も理解していないのでは、ユーザーは取扱説明書の本文を読み情報・知識を得ることのになる。人(店員)に勧められて、購入する従来型のユーザー層と、自分で判断するための情報を自分で集めて決定する、いわゆる自己責任型のユーザーがいるが、これは社会の流れと一致していることから今後後者の増加が考えられる。したがってこれからの取扱説明書の評価は本来的な「製品を使用するときの道具・インターフェイスとして」だけではなく、「購入時の情報提供」という側面も重視されてこなければならない。そのような評価基準を基に購入ユーザーの「取扱説明書について」の感想やシミュレーションが、取扱説明書の正しい評価につながると考える。